「江河水」の悲憤

《江河水》的悲愤

「江河水」という有名な二胡曲がある。江南テイストのたおやかな曲とも、馬が軽快に跳ねる曲とも違い、全編悲愴感に満ちている。演奏時間はたった6分あまりなのに、一回弾いただけでぐったりしてしまう。かといって気を緩めて弾くとまったく曲の体をなさない。楽譜の最後の段には「悲憤」という指示すらある。何に対する「悲憤」だろうか。曲の雰囲気からして、理不尽な原因で愛する配偶者か子どもを失った気持ちかと思ったが、念のためネットをあたってみたら、曲の背景を説明した文章(二胡の名曲「江河水」の演奏について[中国語])があった。
一首有名的二胡曲叫《江河水》,与江南风味的优美的曲子或马腾跃的轻松愉快的曲子不同,从头到尾充满着悲怆。演奏时间只有6分多钟,却只拉一次就精疲力竭。即使那样,如果疏忽地拉的话,曲子根本不成样子。在乐谱最后的一段上甚至"悲愤"的指示都有。是对于什么的"悲愤"? 从曲子的气氛来看,我想:它应该意味着由于不讲理的原因丧失爱人或儿女的心情,为了确认上网查了一下,结果看到了一个文章解释该曲的背景(谈二胡名曲《江河水》的演奏):

 乐曲以富有东北民间音东风格的曲调,描写了在万恶的旧社会,有一对恩爱的夫妻、丈夫被官府抓去服劳役,遭到百般虐待死于外乡,妻子闻讯,悲愤欲绝,来到当时送别丈夫的江边遥祭,对着滔滔的江水,嚎啕痛哭,用血和泪愤怒地控诉了旧社会统治阶段的滔天罪恶。
 曲は東北の民間音楽の特徴に富むメロディーを用い、諸悪はびこる旧社会のもと仲睦まじい一組の夫婦を描く。夫は官吏に連れ去られて労役に服すも、あらゆる虐待を受け異郷で死んでしまう。妻は報せを聞いて悲しみ憤り、命を断とうと思い、河辺で夫を送る葬儀の際、滔々たる河の流れを前に声を張り上げて泣き叫び、血と涙を流して憤りながら旧社会統治の大罪を訴える。


この後、演奏上の注意点が詳しく説明されており、大変参考になるのだが、それによると曲は三部構成で、妻が夫の訃報に接し嘆き悲しむ場面から、夫と二人で仲睦まじく過ごした頃を回想する場面を経て、再び現実に引き戻され悲しみ憤るも、最後はなすすべもなく河辺を離れ、その痛々しい面影が夜の闇のなかに消えていくところで終る。なるほど、これだけのマイナスの感情を芸術表現に昇華させるのだから、演奏時に並々ならぬエネルギーを消耗して当然である。
此后文章详细地说明演奏上应注意之点,很值得参考。根据该说明,曲子好像是由三部构成:一,妻子接到丈夫的的讣闻,悲叹的场面,二,回想两个人和睦地度过的时光的场面,三,被拉回到现实,感到悲愤,最后以她无可奈何地离开江边,其悲惨身影渐渐地消失在苍茫的夜色之中的部分结束。原来如此,既然把这么强的消极感情提高为艺术表现,演奏时消耗不寻常的精力也是理所当然的。

この「江河水」をつくった黄海懐は、かの有名な「賽馬」の作曲者でもある。後世にこれほど印象深い2曲を遺した人の生い立ちはどんなだろうとまた調べてみたら、ある学校のサイトに銅像の写真つきで経歴が紹介されていた(萍郷市第三中学「黄海懐の生涯」[中国語])
这个《江河水》的作者黄海怀,还是那个有名的《赛马》的作曲者。我想知道给后世留下了印象这么深刻的两个曲子的人有什么经历,又查了一下,发现了有所学校网页上介绍着他的经历,也有铜像的照片(萍乡市第三中学《黄海怀生平》):

 1935 年,当代著名的音乐教育家、二胡作曲家、演奏家黄海怀先生,诞生在我们萍乡城区。(中略)黄海怀先生,幼年丧父,家境贫寒,但自幼聪敏好学,尤其痴迷音乐,常常跑到剧场看戏、听音乐、学胡琴,是当时我们萍乡有名的"痴琴伢子"。入高中后,他更是刻苦练琴,几乎到了废寝忘食的程度。
 現代の音楽教育家、二胡作曲家、演奏家として名を知られる黄海懐さんは、1935年に私たちの町・萍郷に生まれました。(中略)黄海懐さんは幼くして父を失い、家は非常に貧しかったものの、小さい頃から賢く勉強ができ、とりわけ音楽には夢中で、よく走って劇場に行っては劇を見たり、音楽を聴いたり、楽器を習ったりして、当時は町で有名な「楽器馬鹿小僧」でした。高校に入学してからは、さらに楽器の練習に打ち込み、寝食を忘れるほどでした。 


1955年に20歳で中南音楽専科学校(現武漢音楽学院)に入学した彼は極めて優秀な成績を収めて、母校で教えることとなり、1959年に「賽馬」を作曲、1962年には二胡独奏曲「江河水」を発表して成功を収めた。その後も音楽事業に身を捧げたものの、1967年、文化大革命により無実の罪を着せられ、わずか32歳で世を去っている。作曲家・演奏家としてだけでなく教育家としても将来かなえたい夢が人一倍あったろうに、理不尽にもその前途を断たれた彼の悲憤はいかばかりだったか、とても想像できない。
1955年,他20岁时,考入中南音乐专科学校(现武汉音乐学院),因成绩优异而留校任教,1959年创作了《赛马》,1962年发表了二胡独奏曲《江河水》,得以成功。虽然此后也献身了音乐事业,但是1967年在文化大革命满含冤屈离世,年仅32岁。他不仅是作为作曲家或演奏家,而是作为教育家,比一般人应该多有将来要实现的梦想,却以不讲理的理由被切断了前途,感到多么悲愤,我怎么也想像不了。

そして、ある二胡のサイトには「私の父・黄海懐」(黄波著)という投稿(中国語)が載っていた。幼くして父・黄海懐を亡くした黄波さんは、父の黄ばんだ写真を見たことから1979年に父の足跡を探す旅に踏み出すが、最も見たかった墓は時が経ちすぎたために、なかなか探し出せない。果たしてやっと墓碑を目にしたときの思いを、黄波さんはこう書いている。
在某二胡网页上有一个投稿题名为《我的父亲黄海怀》(黄波著)。黄波很小时候他父亲黄海怀去世了,以看到父亲的泛黄的照片为开端,1979年踏上了探寻父亲的经历之路。不过,他最想看看的墓,由于时间过了太长的原因,很难找到。最后好容易才亲眼看得到墓碑的心情如何,黄波先生这样描写着:

 (墓碑是)一个约20公分宽、30公分高,刻着“黄海怀之墓”的方石头,斜靠在一个杂草丛生的乱石头堆里。我的眼泪一下子流了出来,这就是给了我生命,创作了《赛马》《江河水》的父亲的归宿吗?
 (墓碑は)幅20センチ、高さ30センチくらいの、「黄海懐之墓」と刻まれた四角い石で、雑草が生い茂る乱雑な石置き場で倒れかかっていた。私の目からはたちまち涙があふれ出た。これが私に命をくれた父、「賽馬」や「江河水」を創作した父の終の住処なのか。


黄波さんはその後、1987年に父の郷里・萍郷の麻山に墓を建て、2005年には父が通った萍郷三中の創立80周年に合わせて校庭に3メートルの銅像(写真)を建てている。2007年には父の没後40年を記念して、連続テレビドラマが制作されたり二胡コンクールが催されたとあるので、長い時間と息子の尽力を通して黄海懐の名誉はようやく回復したということだろう。
1987年,黄波先生在他父亲的故乡萍乡的麻山上修建了墓,2005年,在他父亲读书的萍乡三中学成立80周年之际,在校园里修建了一座三米高的铜像(照片)。据说2007年,为记念他父亲逝世40周年,制作了电视连续剧,举办了二胡比赛,所以我觉得:通过很长时间与他儿子的努力,黄海怀的名誉终于恢复了。





さて、こちらは二胡の大御所・閔恵芬の「江河水」。魂を揺さぶられる演奏である。
这是二胡大师闵惠芬的《江河水》,是动人心弦的演奏。

http://6.cn/watch/4496713.html


よろしければ彼女の「賽馬」もどうぞ。二胡をやって間もない頃に初めて見ていたく感動した(日記)のだけど、今久々に見てもやっぱりしびれるなぁ。
如果有兴趣的话,她拉的《赛马》也请听一下。我刚开始学二胡的时候第一次看到这个,非常感动(日记[日文]),现在隔了好久再看,还是被它所陶醉啊!

http://www.56.com/u27/v_MzE3MDU1MzY.html

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by nohohonvillage | 2008-05-14 08:34 | 二胡