白川郷で考えた

白川乡随感

その後、憧れの白川郷へ。バスで山道を揺られること1時間半、ついに目的地に着いた。駐車場と荻町集落をつなぐ橋からは雪山が見渡せる。
此后,去了一直向往的白川乡。被公共汽车颠簸了一个半小时山路,终于到了目的地。连接停车场与获町村落的桥上能了望雪山。
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集落沿いの川は深い青をしていて、思わず郷里の吉野川を思い出した。
沿着村落的河流深蓝,我禁不住想起故乡的吉野川
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荻町集落。
获町村落。
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みやげ屋と整備された水路。昨日飛騨の里を歩いたときは「明日は人が実際に生活している古民家を見るんだ!」と心躍らせていたけれど、ここは飛騨の里以上にテーマパークらしい。
土产店与修建好的水路。昨天我在飞騨之乡走的时候,高兴地期待着:"明天我会看人们实际上住的古民房!",不过,看上去这里比飞騨之乡更象人造公园。
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むしろこんな光景のほうが心和むなぁ。
让人心情平静下来的就是这种情景。
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……と写真を撮りながら、はっと我に返った。私は何を求めてここへ来たのだろう。白川郷には夏になると観光バスが連なってやって来て、道も店も人で溢れ返り、なかには傍若無人な振舞いをしていく客も少なくないとか。それを知ったときは何と失礼な! とあきれたが、自分も人の家の前で写真を撮っては、「もっと生活感のある風景がほしいなぁ」などと思っているのだから、五十歩百歩ではないか。
我一边想一边拍了几张照片,突然 醒悟到:我是想做什么才来这里的? 有人说一到夏天,多辆游览车结队而来白川乡,道路上以及商店里都挤满了游人,其中举止旁若无人的也不少。我听到这个,就想:"真是个不可救药的家伙!",但是我现在在人家的前面拍照片,还想要拍更有生活感的情景,也差不多一样吧。
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荻町集落を出て合掌造り民家園に行ってみた。ここは1972年に白川村の離村民家25軒を移築、展示した博物館である。ある民家では、昭和40年頃にある集落が離村する際撮影されたドキュメンタリービデオが流されていた。先祖代々大切にしてきた村を、生きていくために去らざるを得ない経緯※が描かれたもので、見ていた私はそのときの村人の悲痛を思い、胸が詰まった。白川郷の風景は観光への道を選ぶことでかろうじて生き残ったけれど、日本には同じような事情でこの半世紀足らずのうちに廃れた美しい山村がどれほどあっただろう。私はいつしか再び自分の生まれ故郷に思いを馳せていた。そこもやはり過疎化が進んで久しく、先日も中学校と高校が統合された。
我离开获町村落,去了一个博物馆叫"合掌造民家园"(合掌造:人字木屋顶建筑,民家:民房)。里面有25所左右的民房,是随着白川村村民的离村,1972 年从各地迁筑的。在一所民房里上映昭和40年(1965年)左右一个村落居民离村时拍的录像。这纪录片把居民为了生活下去,不得不离开祖祖辈辈爱护的村落的经纬※描写,看的我不由得想像他们当时感到的悲痛,心理难受了。白川乡的风景选择观光之路后好容易才保存下来,不过我不知道:在日本这不足五十年里,由于同样的事情消失的美丽的山村有多少。我不知不觉又想起了自己的故乡。那里的人口也长久以来持续减少,前几天因为学生太少的缘故初中与高中合并了。
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寒風吹きすさぶなか、道祖神がたたずんでいた。この神様もかつてどこかの辻で、遊んだり学校に通ったりする子どもたちを見守っていたのだろうか。
寒风狂吹之中,站着一位守路神。它也曾经在某个路旁照料过孩子们玩耍或去学校吗?
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例年であればこの時期は雪に覆われているらしい。民家園の職員の手植えだろうか、可憐な黄色や紫のクロッカスが心を和ませてくれた。
据说往年这个时候这里白雪覆盖。藏红花可能是民家园的职员亲手种的,黄色与紫色的花很可爱,让我的心情暖和起来了。
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※参考サイト:「飛騨の歴史」(日本語)
※参考网页:《飞騨之历史》(日文)

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by nohohonvillage | 2007-04-20 00:21 | 日本